アリスタルフ・ヴァシリエヴィチ・レントゥロフ(Аристарх Васильевич Лентулов, 1882-1943)はロシア・アヴァンギャルドの重要な画家で、パリでフォービズムやキュビズムの影響を受けた後、帰国して立体未来主義(Cubo-Futurism) を牽引する。大柄で人好きのする朗らかな性格だったそうで、周囲にはいつも多くの仲間が集っていた。文献には「太陽の画家」と呼ばれていたという記述もある。
レントゥロフは1882年、ベンザ州の司祭の家に生まれた。父が早逝したため、その職を継ぐべく宗教学校や神学校に入学させられる。だが本人は美術に興味を示し、ベンザ美術大学、キエフ美術学校で学んだ。さらにサンクトペテルブルクでは、非正規招待のかたちで芸術アカデミーの授業に参加する。ロシアにおけるアヴァンギャルド展のはしりである『花輪』に作品を出品した後、1908年にモスクワに移住。そこで結婚したマリアは生涯の良き伴侶となった。
下はマリアを描いた1913年の作品。1911年から12年までのパリ滞在後の作品で、フォービズムやポスト印象派の影響が見られる。(すべての画像はクリックで拡大してご覧になれます。)

作風のほうでは常に実験と革新を模索しており、モスクワ芸術劇場の舞台美術家として思い切った構図と華やかな色使いを駆使した。そうしたレントゥロフの作風は、ロシア革命の真っ只中という時代にもふさわしく、カンディンスキーやマレーヴィチ、マヤコフスキーなどに影響を与えた。いっぽうで、重工業の現場や労働者を描いた写実的な作品も残している。
下は1917年制作の「新エルサレム修道院」。紫を基調に使った配色が特徴的である。
下は1914年作品、「ロシアの兵士を称える十字架行列」。第一次大戦に連合国として参戦するロシア兵を描いている。したがって10月革命以前からすでに、政治的な題材をも扱っていた画家の姿勢がうかがえる。
下は近年、ロシア・ウクライナ紛争で有名になったマリウポルの「アゾフスタル」。1930年に建設された製鉄所だがレントゥロフは1936年に訪れ、労働者たちの姿を描いたスケッチを残している。

















