テオドール・ジェリコー作の『メデューズ号の筏』は、ルーブル美術館常設展示作品の中でもとても人気があり、いつも人だかりができている。490x716㎝の巨大なキャンバスに描かれ、まことに激しい様相を呈するこの作品の趣向は、「時の政権が隠したい重大事件の記憶を芸術の世界に再現する」という大胆なもので、当時としては常識破りだった。そのため、デビューした1819年のサロンでは賛否の激しい論争が巻き起こり、結局、魂を注いだ油絵はお蔵入りとなってしまった。ルーブルがこの問題作を買い取って展示作品群に付け加えたのは、ジェリコー死後である。このたび弊研究所では、フランスの芸術サロンに逆風を巻き起こしたこの若き才能、ジェリコーの小品を集めた画集、『テオドール・ジェリコーの習作』を出版することとなった。

 

 ジェリコーのデッサンの正確さとすぐれた構図、そして題材をとらえる鋭い視点は突出しており、鬼才として画壇の頂点に君臨することもできたはずなのだが32歳で夭逝してしまったため、完成された作品は非常に少ない。なんとも惜しいので、せめて残された習作群を日本に紹介しようと作業を始めたところ、膨大なデッサンやリトグラフに遭遇することになった。弊研究所で作成できる美術書はささやかなものだが、人生をまっとうできなかった天才画家の息吹きを伝えるべく、ジェリコー的な断片を可能なかぎり取り上げたつもりである。個々の作品については簡単な制作方法と年代以外、細かい解説は加えていないので、鑑賞者は先入観なしにジェリコーと対面し、彼の世界を楽しんでいただきたい。

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テオドール・ジェリコーの簡単な年表

1791 9月26日ルーアンの裕福な家庭に生まれる

1796 一家でパリに引越す

1806 リセ・アンペリアルに入学。手あたり次第にスケッチをする。後輩にドラクロワ

1808 アトリエに通いながら馬に熱中する

1810 新古典派の画家ゲランに弟子入り。ドラクロワも弟子仲間

1811 父親の手配で兵役を免れる

1812 国立美術学校に通う

1812 士官として騎兵中隊に参加

1816 近衛騎兵中隊をはなれて自費でイタリア旅行

1818 「メデューズ号の筏」制作のために大きなアトリエを借りる

1819 「メデューズ号の筏」を「難破の光景」というタイトルでサロンに出品。ルイ18世からメダルを授与される

1820 英国に渡航。パリでお蔵入りになっていた「メデューズ号の筏」をロンドンで展示

1821 リトグラフ連作「英国シリーズ」を出版。英国庶民の生活をとらえた習作多数

1822 再びパリ。精神病院収容者の肖像画10点を制作。落馬で脊椎を痛める

1823 リトグラフを連作

1824 1月26日死去。享年32歳

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 ジェリコーの作品のなかで最も有名な『メデューズ号の筏』は、1818年から1819年にかけてのわずか8か月ほどの間に描かれた。この期間は、実はジェリコーが私生活で決定的な痛手を被った時期でもある。

 

 それより数年前、伯父の家に宿泊していた若きジェリコーは、伯父の妻であるアレクサンドリーヌと馬好きという趣味を共有していた。ジェリコーが彼女を描いたと思われる1812年作のかわいらしい肖像画が残っている。2人の仲が親密になったためか、騎兵中隊に参加したりイタリアに修業旅行に発ったりと、伯父の家を離れる行動をとっていたジェリコーだが、その後も2人の関係は続き、1818年8月21日に息子のイポリットが誕生する。大作制作のために大きなアトリエを借りた直後である。つまりジェリコーは、男爵婦人との醜聞で大騒ぎの真っ最中に『メデューズ号の筏』を制作していたわけだ。

 

 こうした人生の危機のなか、ジェリコーはアトリエに遺体を運び込ませ、腐臭のただよう中で死者デッサンを続けた。生きた人間のモデルも使い、その中にはドラクロワもいる。完成作品の画面手前、筏の床に突っ伏している若い男性がそれだ。作品のいちばん目立つ位置で沖の帆船に向かって手を振っている黒人男性は、当時フランスで人気のあったハイチ出身のモデル、ジョゼフである。(ジョゼフのフルネームはわかっていないそうだ。)

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 ジェリコーは制作に没頭することで、内面の危機を乗り越えようとしたのかも知れない。だが、アレクサンドリーヌのほうは良家にお決まりの処理方法として幽閉され、隠遁して生涯を終えた。赤ん坊はすぐにノルマンディーに連れ去られ、生涯ジェリコーと会うことはなかった。

 

 『メデューズ号の筏』のための習作は散逸してしまったものも多いが、かなりの数が現存している。難破船から筏に移る場面、食料がつき、筏のうえで殺し合いをして人肉を食べる場面、絶望しながら大海を漂う場面、などなど。だが彼が最後に採用したのは、遥か彼方に見える帆船に生存者たちが動揺し、一縷の望みを託す場面であった。前出の事情から、この場面選択をジェリコーの内面の反映であると分析する美術評論家も多い(注)。

 

(注)ジェリコーの研究書としては、Germain Bazin著『Théodore Géricault : étude critique, documents et catalogue raisonné』全7巻 1987-1997)が定番である。作品目録としても充実している。

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 今回発行する美術書、『テオドール・ジェリコーの習作』では、『メデューズ号の筏』のための習作から多数を紹介した。その他、32年の短い生涯に残したデッサンやリトグラフ、英国時代の馬の習作群などから特徴的な作品を取りあげている。A4判モノクロ本文掲載作品数62点、表紙表裏カラー作品6点(総作品数68点)である。


以下の動画では、新刊美術書に掲載されている作品の一部と掲載できなかった作品多数を紹介しています。

テオドール・ジェリコーの習作 
(1 Nov 2023、5分48秒、YouTubeより。画面右下の▢で大画面になります)

 

 

ジェリコーの馬の連作についてはこちらの動画をどうぞ

https://youtu.be/opvRmDbvYkg?si=T01QfLKIECh8xeEG



テオドール・ジェリコーの習作
ヨハンナ比較文化研究所
2023-11-01